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自分の感受性は自分で守るということ

昔、脳みそがねじれる感覚がよくあった。

自分が強烈に感じていることと
口に出す言葉が一致しない時だ。

強烈にそれはイヤだ!と感じているのに
それを口に出すのは大人気ないし嫌われるから、とりあえず大人の対応をしておく。

強烈にそれがいい!と求めているのに
それを馬鹿正直に口に出すのは品がないから
とりあえず何でもないふりをしておく。

そういう謎の謙虚さで周りに合わせる時
どんどん自分が濁っていくようで、
薄っぺらい能面になっていくようだった。

何でもかんでも感じたことを主張するのは
好みじゃない。

だから一旦感じたことをのみこんだり咀嚼してその正体がなんなのかを探る人生だった。

だけど、それを探りながらも次々に押し寄せる矛盾に処理が追いつかず、

本心を口に出さないまま周りの反応や常識に自らを合わせ、いつしか感じることを放棄するようになった。

感じることがめんどくさくなった。

鈍感ってことにしておいたら楽なんだ。

だけど身体は嘘がつけないから、
矛盾が増えるたびに歪んで緊張して
日常がしんどく重くなっていった。

もちろん矛盾だらけで
なにもかもがうまくいかなかった。

嘘つきな人生の中でただひとつ
色を重ねることには素直でいられた。

色に感情を乗せて描く時、
すべてのしがらみから解放されるようだった。

そうやって心のバランスをとっていたのかもしれない。

たった一言「それは嫌だ」「こうしたい」が言えないだけで随分こじらせてしまったな。

どうして感じたことをそのまんますぐに言えないのかな?
 
なぜそんなに自分を信じてやれないのかな?
 
なぜそんなに他人次第で生きているのかな?
 
そう問うたびに存在の無価値感に行きついて絶望したり、そんなわけないだろ愛されてるじゃないかって慰めたり…

内面が忙しくてすごく疲れた。

感受性を自ら否定することは、誰の得にもならない上に何の創造性もないことがよくわかった。

長男は昔からひんぱんに「嫌だ」と言う。

そのたびにイライラして、すぐ何でも嫌だって言うな!って注意してた。

だけど息子の姿は私自身の姿。

嫌だってわたしがずっと言いたかったんだ。

だって嫌なんだもの、仕方ないじゃないか。

感じてしまうんだもの。

人が体を壊す時、
きっとまだ言ってない言葉がある。

「もうやめたい」「それは嫌だ」

なぜならば、

「本当はわたしは、○○したいからだ」

その○○を本当は言いたいのではないですか?

なのにそれを言わないがために、
自ら問題を作り出しているのではないですか?

ここ数年、言っても大丈夫なんだってやっとわかってきた。

言っても誰も離れていかないし、むしろ言った方が全てがスムーズにまわるんだってわかった。

さらに言えば最近のわたしはすごく体調がいいし、日々幸福を感じる。

ついでにどんどんいろんな願いが叶う。

✴︎

人生はすっごくシンプルなんだ。

好きなら好きと言い、
嫌なら嫌と言えばいい。

ただその繰り返しの中で、
じゃあどうしたい?とまっすぐに願いを放ち、
好みの方へ創造していくことができる。

受け身ですり減らす人生じゃなくて
わがままに創造する人生にしようよ。

今この瞬間、我慢しているものがないか
自分に問うてみよう。

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